松旭斎滉洋 マジックジャパン
昭和50年代、道頓堀角座の演芸、松旭斎滉洋&マジックカーペット・フラワーショウ・暁伸&ミスハワイ・桂枝雀・桂春団治と新喜劇の繁盛期。
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道頓堀角座の看板として活躍 松竹新喜楽座座長
博多淡海 (2代目)
二代目博多淡海(はかたたんかい、本名・木村平蔵、1930年3月1日 - 1981年1月16日)は、喜劇役者。博多にわかの初代博多淡海の三男。妻は博多淡子。実子が「三代目淡海」を継いだ木村進。
博多にわかの初代博多淡海の三男。6歳で父の「淡海劇団」一座で初舞台。18歳で一座の座長になり、23歳で父の名「二代目博多淡海」を継ぐ。1961年より東京を拠点するも、まだまだ博多弁が東京では浸透しておらず。仕方なく動きの多い笑いや芝居(正座した状態で高く飛び上がる)で人気を得る。
その後「淡海劇団」で吉本興業の花月に出演したりしていたが、1975年より藤山寛美に誘われ松竹新喜劇に入団。名パートナーとして活躍。1976年には周囲の勧めで松竹新喜楽座にて座長に就任。1980年には新喜楽座を退団、後に復帰も1981年に死去。カツラをかぶりお婆さんキャラに定評があった。
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