松旭斎滉洋 マジックジャパン
昭和50年代、道頓堀角座の演芸、松旭斎滉洋&マジックカーペット・フラワーショウ・暁伸&ミスハワイ・桂枝雀・桂春団治と新喜劇の繁盛期。
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手妻の父 松旭斎天一
松旭斎天一 しょうきょくさい-てんいち
嘉永(かえい)6年生まれ。阿波(あわ)(徳島県)安楽寺で剣渡り,火渡りの真言秘密の術を習得。さらに旅芸人に水芸を,アメリカ人奇術師ジョネスに西洋奇術をまなぶ。地方興行をへて明治21年東京浅草に進出,以後,国内外で好評を博した。明治45年6月14日死去。60歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。本名は牧野八之助。
明治時代の奇術師。越前福井藩の陪臣牧野海平と妻音羽の長男。本名服部松旭。家断絶により叔父の唯阿が住職を勤める阿波国(徳島県)西光寺へ移住した。同寺で孤児となり仏門に入ったが,宗教の奇跡を自作自演して破門され,大道芸の手品師となる。明治11(1878)年イギリス人ジョネスと共に上海へ渡り,西洋奇術を学ぶ。大仕掛けな舞台奇術を志し,21年浅草の文楽座で水芸,大砲芸や宗教劇奇術で成功した。
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